明治5年日本で初の鉄道が、新橋横浜間に開通しましたが、開通時の新橋駅がどこにあったかご存知ですか。それは現在の新橋駅から汐留浜離宮の方に向かい銀座通りを越えた先の右側でした。なんでこんな外れに?と思われた方もおられるかもしれませんが、今の私たちには現在の新橋駅あたりが中心に思えますが、考えてみればまだ鉄道はない時代ですから、銀座通りはもともともっとも賑やかな街道である東海道、そのすぐそばに作られた新橋駅は人々にとって最も便利な場所に作られたと考えれば納得頂けると思います。
ではもう一方の横浜駅はどこに造られたでしょうか。現在の横浜駅は数えて三代目にあたりますが、当時の初代横浜駅は現在のJR桜木町駅の構内、わずかに関内駅寄りの場所に造られました。海の玄関口、横浜港に造られた訳です。最初の鉄道は、「新橋-横浜間」と新橋が先に表記されるのが一般的ですが、工事は至る所で始められたものの、機関車やレール、その他主要資材はすべてイギリスから輸入されましたので、横浜港に荷揚げされた資材やレールが横浜側から順に敷設され徐々に新橋に向かって伸びてゆきました。
その後の駅の変遷も含めいろいろは遺構や展示が桜木町及びその周辺にありますので、今日はそれを紹介してみましょう。

初代横浜駅
JR桜木町駅の西口を出て、「野毛ちかみち」ではなく線路に沿う形で横断歩道を渡りましょう。ホテルを左に見ながら進むと鉄道の父と言われるイギリス人エドモンド・モレルの顕彰碑がありその前方に横断歩道が見えてきます。当時のもの構は残っていませんが大岡川の手前のこのあたりが錦絵のレリーフにある「初代横浜駅」の駅舎があったところです。形は初代新橋駅に少し似ている気がします。
一番奥に①「鉄道創業の地」の碑が建てられていますし、その手前もともとこの碑が建てられていた場所には、後年②「原標点」のメタルが埋め込まれました。さらにその手前、地下に降りる階段の外側に③「旧横浜驛駅長室」のレリーフが埋め込まれています。



旧横浜鉄道歴史展示「旧横ギャラリー」
来た道を戻り、途中ホテルのある商業施設「CIAL」に中に入りましょう。その一階に「旧横浜鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)」があり、無料で見学できます。
ここには、鉄道開通に向けイギリスから輸入された11両の蒸気機関車のうちの1台、「110号」機関車が展示されています。この機関車は実際に開通時の横浜新橋間を走りその後日本各地を転々とし、引退ののちここに展示されました。ほかにも、先ほど顕彰碑を見た日本鉄道の父と呼ばれるエドモンド・モレルに関する記述展示がなされています。彼は日本で初の鉄道敷設のため派遣されてきた技師でしたが開通前年の明治4年日本でなくなりました。ほかにも当時の横浜駅のことなどの歴史展示も多くされています。

桜木町構内の歴史展示
桜木町駅に戻りましょう。右手に折れて西口構内に入る前、まっすぐ横浜方向を眺めると京浜東北線根岸線に並行して高架の残りが見えますが、これは平成16年(2004年)みなとみらい線の開通により廃線となった東急東横線の終点桜木町駅があったところです。現在この高架跡はプロムナードに整備される予定の工事が進められていてゆくゆくは横浜駅まで歩いて行けるようになるとのことです。
駅構内に入りましょう。普段通り慣れている方でも気付いていない方も多いかと思いますが、西口から東口に抜ける構内の右側、改札と反対側の柱には興味深い展示がなされています。当時の横浜港の様子や鉄道建設工事の状況などを写真や絵、図や模型、展示物などで詳しく説明してあり、じっくり見る価値のある展示となっています。
東口駅前広場は、かつては貨物駅「東横浜駅」
東口を出ると、目の前には大きな広場があり、ランドマークタワーや横浜市役所など高層ビルが目に飛び込んできますし奥には横浜港が見える良く見慣れた光景ですね。この駅前広場、かつては貨物線の線路が広がっていたのですが実際にご覧になった方はかなりのご高齢になられた方になります。
後編の「横浜駅の変遷」で説明しますが、明治35年二代目横浜駅が現在の横浜駅寄りに新設されたことに伴い、初代横浜駅はその名を二代目に譲り、人間と貨物の駅を分離し人が乗降する駅を「桜木町駅」、貨物を扱う駅を「東横浜駅」と改名しました。その後、物流の変化により東横浜駅は1979年その使命を終え閉鎖、みなとみらい地区整備へとつながり、現在は広場の奥に写真にある碑が残るのみとなりました。
