このお話は書籍からのまるまる引用です。
とても感動したお話なので使わせてもらいます。もちろん著作権などの問題もあるかもしれませんが大目に見てくださいね。
私はそれまで長く、教師として子供たちに人権教育を行ってきました。いじめはいけない、差別はいけないと。だけど、ひとたび学校を出て家庭の主婦に戻った遠端に対岸の火事でした。自分がその身になれないんです。
「これではいけない。養護学校に通う、あの子らに本気で学ばなんだったら、きっと一生後悔するだろう」と痛烈に思いましたね。教員になりたい人はいっぱいいます。だけど、この子らの将来を変える人がいない。
この子らには卒業しても「おめでとう」と言ってあげられない。次に行くところがないわけですから。 私はこの子らと一緒に生活できる人になろうと思いました。
それで五十七歳の時、教員を辞めて、知的障害者のための通所施設「のらねこ学かん」を立ち上げる決意をしたんです。
主人も納得してくれました。主人は跡継ぎと思っていた男の子二人を病気と事故で失ったショックから一時、重度の鬱病を思っていましたが、六十歳の定年まで見事に教員を勤め上げましたよ。
でも、その主人も六十二歳の時に亡くなってしまうんです。
国道を挟だところにある畑に草を刈りに行く途中、一トントラックに撥ねられたんですね。
近く人が私を呼びに来てくれて、救急病院に行った時は、もう顔に白い布が掛けられていた。
本当の悲しみは涙が出ない、というのはそのとおりですね。
主人が横たわっている座敷で天井を見ながら一日中ボーッとしていました。
そうしていたら若い男の人が訪ねてきたんです。 トラックの運転手さんでした。
「僕が事故の相手です。許してくださいなんて言いません。殺されても仕方がありません。どうか奥さんのいいようにしてください」と土間に土下座しましてね。
二男が死んだ後、人を許すということを主人は教えてくれました。
世界で一番憎たらしいその人が玄関に土下座した時、私がなんであんなことを言ったのか、自分でも分かりません。
だけど私の口からこういう言葉が出たんです。
「あなただけが悪いんじゃないの。車と人が喧嘩をしたら車が勝つに決まっています。あなたは若いから、主人の分まで生きて幸せになってくださいよ。そうしたら主人も成仏できる。私が警察に嘆願書を出すから、どうかそうしてくださいね」
その人は「そんな優しいことを言うてもろうたら、僕は生きられん」と大声をあげて泣きました。
「でもね。あなたを訴えてお金をもろうても死んだ者は帰らない。死んだ者が帰らないんだったら、生きている者が精いっばい生きるしかない。私はあなたを許すことからしか次の一歩が踏み出せないのだから、職場に復帰して幸せになってください」。
そう言って許したんですけどね。だけど、許した後で親戚が家に集まってきて「おまえの良識はおかしい」「それじゃ死んだ者は浮かん」と散々詰め寄られました。
その時、私は一人、親せき闘いながら心の中で主人に静かに語り掛けていたんです。「お父さん、これでよかったよね」って。
生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 2,350円です
のらねこ学かん代表 塩見志満子さんというかたの言葉です。
ネットで検索したらこのような方でした。
ユーチューブもありました。
【号泣インタビュー第4弾】どうやったらそんなに人を許せるようになるんですか?塩見さんに学ぶ「許す力」【ザ・アキコ・ショー】