私の菩提寺は東京都内(港区・三田)にあります。その住職と話をする機会がありました。
心の動きを「機」といい、もとは二人が互いに意気投合することを意味する語であったが、転じて指導者である師の「機」と弟子の「機」とが相契合して一つになることをいう「機機相応」を「投機」というようになった。
一般に投機といえば、経済や商業に関する用語と思われているようですが、禅宗では投機とは、仏教語であり、仏道の師と弟子との間で「心」が通じ合うことをいうそうです。
一体どうして「投機買い」などの語が生まれたのか、能力が未知な弟子を育てることは、師匠には将来の予測がつかず、「当たり外れ」があることになぞられたのでしょうか。いずれにせよ、人と人との出会いは不可思議なものです。
お互いにいつまでも「敬」と「信」を通じ合える友人を持ちたいですね。